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震災から12年
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- 2007/01/17(Wed) -
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とうとう干支も一順してしまいました・・・
12年前の阪神・淡路大震災の日はとても寒い日でした。 まだ寝ていた私達を襲ったごう音と激震 とっさに子供達に覆いかぶさり、夫と声をかけ合ったあの時・・・ 何はともあれ家族みんな無事で良かった みんな一緒のときで良かった もしも仕事に行ってる時間だったら、アタシも夫も帰ってこれなかったに違いないから・・・ 震災後はそれなりに大変だったけど――― それでも家族はみんな無事だったし、怪我もしていない 親しい人も亡くなったりしてなかった 電気は数時間で復旧、ガスは1ヶ月くらい止まったかな・・・ ただ水が出たことはとても有難かった ほとんどの地域で断水して、それこそ道路1本隔てて向こうは水が出なかったのに・・・ お陰で給水車に並ぶ苦労はなかったから、本当に有難かった 仕事だって失わずに済んだ 「お母さん、行かんとってー!!僕、絶対いい子にしてるから!!」 震災の恐怖も覚めぬうちから仕事に行かねばならず、泣き叫ぶ中吉を置いて仕事に行くのはホントに辛かったけど・・・ アタシ達は二人とも仕事に行かなければならなかった 子供にこんな思いまでさせて、どうして仕事に行かなければならないのかと恨めしく思ったものですが・・・ でも・・・ 仕事を失わなかったからこそ生活の基盤も保たれ、経済的な打撃もなかったんですよね。 当時住んでいたアパートは結構古くて、よく倒壊しなかったよな〜って感じです。 アパート自体は半壊でしたけど補修で住めましたから、避難所暮らしもせずに済みました。 職場の人の中には自宅が全壊した人もいましたし、全焼した人もいました。 全国から寄せられた義援金は、全壊した人にさえたったの10万円でした。もちろん善意は有難いです。有難くて涙が出てきました。 でも何もかも失った人に10万円では焼け石に水です。 仕事を失ったら収入はありません。 家を失ったら生活していけません。 大事な人を失ってしまったら・・・ そんなことを考えると、アタシなんて大したことなかったんですけど・・・ 遠くの友達も心配して電話をくれたり、 「何か送ってあげたいけど、個人宛は受け付けてないって言われて・・・」と申し訳なさそうに言ってくれたり・・・ 他府県ナンバーの救援車をたくさん見かけ、全国からの支援が有難くて頭が下がりました。 鎮魂と復興を願って灯ったルミナリエ、涙がこぼれました。 時間が経つにつれ、震災も風化していってしまうのは悲しいことです。 これから震災を知らない世代は増えていきますし、仕方のないことなのかもしれませんが・・・ 現に当時1歳だった小吉には震災の記憶はありません。 家族でも、いえ兄弟でも温度差はありますから、ましてや被災地以外のところで忘れられていくのはどうしようもないのかもしれませんね。 でも忘れちゃいけないと思うんです。 だから小吉にも折に触れ話をしていきます。 |
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